多賀SLパーク(D51、多賀大社近辺)

Posted: 2016年2月27日 カテゴリー: 2016年, 滋賀観光

出国前、撮り貯めした写真が未だそれなりの数が残ってます。
それなりの数と言うのは、2011年7月末まで撮ったものが、残り30記事前後ではないかと思います。
ブログを継続させるため、こちらに来てからもいろいろ内容を替えて延命処置をしているから、五年ほどこちらにいるのに未だに消耗し切ってません。
がんばろう。

神社記事と行きたい所ですが、順番を見ると胡宮神社の次はD51の番です。
ここにおじゃましたのはこれが初めて、これが最後と思っていたんだが、まさかの再訪問を去年してしまいました。
汽車は好きだけど、鉄男ってほどでもない。被写体としての雰囲気が好きなだけです。

二月は更新ペースが速い!毎晩頑張って書いてます!
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多賀大社を目的地として設定し、帰り道は胡宮神社を見つけたから、行く途中でここを発見しました。
発見したというのはやや正確ではありません。かなり前に一度ここを通った際、機関車やん!って覚えてますが、どこをどう走ったのか覚えていないし、神社にも写真にも目覚めてなかった頃だから、すぐ車から降りて行動する考えもなかったし、多分あのごろは人身売買管理人としての仕事を頑張ってたごろでもあったんでしょう。

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かつてここは列車ホテルだった。
1970年代初期、列車ブームが日本各地で盛り上がりました。
その背景にはおそらく汽車を電車に切り替わる際、一部の汽車ファンから出てきた要望でしょう。更にメディアが後ろで煽り、国内で空前の電車ブームが巻き起こしました。
各地で列車と関連する施設が作られて、遊園地の中や列車をテーマにしたホテルも大量に立ち上がりました。最盛期は海外から高級列車を輸入するほどまで熱く盛り上がりを見せたが、僅か数年で人気が陰りを見せ始めた。

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高度成長期を象徴するかのように急成長を遂げた列車に関連する施設も気がつけばどこも利用者が急減。滋賀県内の人口増加も頭打ちとなり、家庭が地方に移住しなければ遊園地など続けられるはずもない。地方が発展しないなら列車旅館も利用者が増えない。
ここもホテル発足して僅か6年で倒産しました。

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1976年、多賀ハイウェイパークレストランと宿泊施設としてここで開店しました。おそらく当時はもっと人が多かったと思われます。この施設の路反対側にもかつてはなにか建物があったらしく、地面にはコンクリートが固めてました。
また、以前はそれなりに人の往来を証明するかのように、都市部では珍しくなった個室電話ボックスもここにはあります。

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何かが見える!
車輪と大きな物体が見える!

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D51型、ナンバー1149号蒸気機関車
野ざらしの状態でここから動かすこともないまま朽ち果てゆきます。
手前に見える木はソメイヨシノらしく、満開する際、D51と相まってかなり美しいで一部の方には大人気だとか。

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ここに訪問したのは桜は既に咲き終わって二ヶ月が過ぎた後の2011年6月4日です。
花はと言えば杉の花粉しかありません。

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D51 999と書かれているのは多分ここのオーナーだった人の趣味でしょう。
それにしても列車の材料は相当イイ物を使っているらしく、1980年以後は手つかず状態で放置されているとはいえ、40年近く野ざらし状態で傷みは進んでいる割、今でも牽引すればどっかにもっていけなくもない、気がします。気がするだけで保証も自信もありません。

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側面は見ての通り、サビ箇所が目立ちます。
この状態でどう考えても修理して再起動は無理でしょう。一部の部品は他の蒸気機関車に流用可能と思います。流用してどうするの?

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季節が夏前もあって、蒸気タンク周辺は苔におわれて緑色の光を発しているようにも見えます。
いい具合に腐っているから、ナカナカいい雰囲気。でも夜は行きたくない場所です・・・、理由は後ほどわかります。

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もう少し寄って見ました

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一部の部品だけは再利用出来なくもない気がします。
万が一解体した場合、車輪や一部の部品はどこかに移管されるだろうか、そんなことも考えてみました。
ですが、解体にしても費用はかかるし、廃材だってどこに持って行くにも、それなりの輸送コストはかかるでしょう。調べた情報では、この機関車の所有権が明確になっていません。
当時はJRから店のオーナーに無償譲渡しました。言い換えれば店のオーナーが列車の所有者となっています。その後6年程度で店は廃業となり、建物をも壊さないで15年ほど放置していたほどでした。
1995年12月、朽ち果てた建物を地方政府が壊したのか、それとも前オーナーが費用出したのか、取り敢えず取り壊しました。それでもこの機関車だけはどうにも出来なかった。
元々は機関車の後ろにホテルとして寝台客車が三両ありましたが、こちらはどっか持ってかれました。

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登りたい、登って中に入って写真撮りたい・・・でもなぁ~、いい具合に腐ってるしなぁ~、これで登ってなんかの部分が折れたらなぁ~って考えて、ここに10分ほど悩みました。

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一人で来てるから、万が一何が合った場合は110コールも無理だって考えられる。
好奇心を我慢してこの写真にしました。因みに二回目訪問の際は弟と二人で登ったから、2015年の写真アップまでお待ちください。

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悔しいから反対側も下から、男の子の好奇心ってどうしてこーも強いのか?
心の奥底から「登って行こうぜ!」の連呼が嵐のように聞こえてウルサイ!

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木におわれているから、比較的にサビが目立ちます

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D51のDは車輪が四つから来てるそうです。
ということは、Cが三つ、Bが二つ、Aって存在するのか?理論上Eは五つ、Fは六つですが、そんなものは日本で生まれていないから存在しません。
イロイロ調べてみたら、蒸気機関車の車輪数え方は国それぞれによって違いはでてます。ですが、通常片面か両面の数え方だけで特に大きな違いはありません。
日本は片面の駆動輪数でB、C、Dと読んでいるに対し、アメリカは駆動輪の数量で呼びます。
B=4、C=6、D=8

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また、機関車前方や後方にある駆動とは関係しない車輪もカウントします。

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このD51の場合、先が二個、駆動輪八個、駆動輪後方と炭水車は十個ですが、炭水車に直結する車輪はカウントしません。
2-8-0
で表示します。
蒸気機関車では駆動輪がもっとも多いのがアメリカが1900年で作ったマリー・トリプレックスでしょう。
2-8-8-8-2とか何がどうなってるのか意味がわかりません。
興味があれば
こちら(英語)で見てくだし。
それにしても炭水車の外装が結構サビてます。

因みに単体車輪数最大の列車システムは第二次世界大戦、ドイツ軍が製造した80cm列車砲です。当時はミサイルが未だ開発されていない時代でした。今と違い、遠距離攻撃は航空機による爆撃以外、長距離大砲での攻撃が一般的でした。航空機は制空権握らないと精度問題と天候に左右されます、その点戦車砲は安定した攻撃力として非常に有効な攻撃手段でした。
その中でもドイツが開発したこの80cm(※80cm、80mmではない!)戦車砲、完成したのは
グスタフとドーラ二機。(ドイツ語、日本語ページもありますが、内容がドイツ語よりも簡略されてます)
車体の大きさは47.3m、幅7.1m、高さ11.6m、運用は四本のレールが無ければならないため、侵攻するさいは前もってレール整備を要する点も列車として面白い。
駆動輪がないので計算方法もなにもありませんが、車輪数で80個以上を持って1,350tの車体を支えてます。

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遠く見えるちっちゃい車がオレが乗ってきたシエンタ君です。

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登れそうな木がしても登ろうとする気は起きません。低そうに見えるのは超広角効果です。

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レールが後ろに続いてます。
気になるから行ってみよう。

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上でも下でも構わないけど、なんとなく上に登ってから奥へ進みます。

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見事なサイレントヒル地帯
ここに遊園地らしきものはあった、今もない。
そんあ赤い文字を何処かに書かれていたら、間違いなく写真も撮らないで回れ右してそのまま多賀神社へお祓いお願いしたと思います。

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まさに廃墟

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これで滑る人はいないと思う、思うけど滑ろうと思えば滑ることも可能。
それと、最近では滑り台の高さが事故などの関係でかなり低くしてます。この滑り台のように、滑り台なのに踊り場も設けて安全対策だろうと思います。
二メートルくらいの高さだから、何かの事故が起きないとも言えません。

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一応ブランコ、の跡。
奥の方にはボックス型もありますが、動く気がしないし、触らないほうがいい気がした。

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レールの果て。
全長は不明です。以前は寝台車が三両ほどあったから、それなりにスペースが必要でしょう。この先は崖です、寝台車をどうやって、どこへ運んだのか、エロい人、教えておくれ。

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